2019年11月1日金曜日

介護保険なんだかおかしい

お金が足りないからしめつけろ


日本は、介護にかかるお金が増えているし今後もそうなるので、出るお金を少なくして、入るお金をより増やそうとしています。ひとえに国の財布の中身を健全にするためなのだそうです。

最近のニュースによると、財務省は「介護保険サービスを利用するときにかかるお金について、原則2割を直接払うべき」と言いました。また、介護保険サービスを利用するときに必要な「ケアプランを作成するために必要なお金も利用者が払うべき」と言いました。

財務省、介護保険の自己負担「原則2割」を改めて提言 ケアプラン有料化も

原則2割ということですから、誰でも介護保険サービスを利用したら、最低その料金の2割は直接払えということになります。


それだけでない

  • 介護保険料は上がり続けています(最も高額な自治体は月10,000円弱です)。
  • 保険料が払えなくてサービスを受けられなくなったり、差し押さえをされる人が増えています。
  • 家族の介護のために仕事をやめてお金に困る人が増えています。
  • 負担がきついから介護保険サービスの利用をやめたり減らしたりする人が増えています。
  • 介護殺人という痛ましい事件が増えています。
  • 軽度者は買い物や食事を介護保険サービスに頼れません。
  • 福祉用具(介護ベッドや車いすなど)は100%自分のお金で借りたり買ったりしてください。
  • 介護のために家を使い勝手よくするお金は自分で払ってください。
  • 若い人(40才未満)も介護保険料を払ってください。
  • 介護保険サービスを使ったお金が高額ならばそれを超えた分は返すけどその基準額は上げてゆきます。
  • 不動産を持っている人はそれを処分して介護の費用にあててください。
  • 自己負担は2割にとどまらず3割にしてゆきます。
  • サービスを利用できる年齢は65才より引き上げてゆきます。
・・・


現実になっているものも、まだなっていないものもあります。しかし、私たちの負担がこのように増え続けることが、すでに考えられています。



そもそも

介護保険のお金は、保険料と税金、そして利用料、場合によっては国や都道府県、市町村などの借金でまかなわれています。だいたいは保険料と税金と利用料です。

介護保険料の計算、どうなっているの? ~みなさんの保険料、大切に使います~

介護保険は(今現在)40才以上の全ての人が強制加入で、保険料は絶対払わなければなりません。〇〇税などと名前はついていませんが、介護税と言ってよいでしょう。

税金は私たちみんなが義務にしたがって納め、成り立っているお金です。税は私たちの暮らしの隅々に行き渡っていて、暮らしの中で税に全く無関係なものなどありません。

利用料は、サービスを利用した方が、利用した自己負担分として払わなければなりません。

というわけで、あらためて言うまでもなく、介護保険制度は私たちみんなのお金で成り立っている制度ですし、それは「介護を社会全体で支え合う」という、そもそもの理念を実現させるためなのです。

介護保険法 第四条の2
「国民は、共同連帯の理念に基づき、介護保険事業に要する費用を公平に負担するものとする。」




なんだかおかしくなってきている

介護保険法 第一条
尊厳を保持し、その有する能力に応じ自立した日常生活を営むことができるよう、必要な保健医療サービス及び福祉サービスに係る給付を行う

「介護を社会全体で支え合う」という理念を実現させるために、みんなが公平に負担したお金で、介護が必要な方たちに「必要な給付(介護保険サービスの提供)」がされます。利用料という自己負担は負わなければならないですが。

そして制度開始以来、最近では特に目立って、その様子が変わり続けています。

介護保険制度は応益負担の制度です。この制度が始まる前は、介護は応能負担でした。応益負担で良いか悪いか、応能負担が良いか悪いかで話し合うことは既にされてきていますが、今、それはナンセンス=意味がありません。

負担(税+保険料+利用料)は度重なり増えていますし、そこにきてさらに負担を増やすことが検討されています。であれば「応能負担を」と言うのは分からないでもないですが、そもそもの税と保険料の負担は増え続けていますし、軽減措置(お金の少ない人にはその負担を少なくすること)も十分ではありません。そして、その応能負担という基本的な考え方すら揺らいでいる気がします。

それは介護保険法 第一条にある「有する能力」というものが、人の心と体のことではなく、持っているお金のことを指してきている。つまり、「お金を十分に持っている人は十分な介護を受けられるけど、そうでない人は受けられない」、ということです。


きっかけは

最近の大きなきっかけはこのことからです。下のリンクをクリックしてください。

介護がいらない状態までの回復をめざす

「本人が望む限り」と一口に言っても、現に介護が必要な方たちの中には意思表示が困難な方たちもいますので、意味不明です。また、それを望まない人に対しては「何もない」ことを意味しています。

それから、「要介護度が下がって達成感」とは、すでに自治体に施すインセンティブ=報酬として実施されています。介護が必要な量が減れば減るほど、また介護が必要でなくなるほど、お金がもらえるというシステムです。

「介護が必要になっても自分らしく暮らせる社会」はどこに行ったのでしょうか。言われる「介護がいらない状態」とは、この社会から介護というもの、そのものを無くそうということに聞こえます。

この社会に介護が必要でなくなれば、国の財布の中身は健全になる。もしも必要なら「国ではなく自分で」というわけです。そしてこれは「お金をよりたくさん持っている人が有利な社会作り」へとつながってゆきます。


お金ではなく人

年をとることによる人の老化の原因は、はっきりと分かっていません。分かっているのは、老化は誰にでも起こりますし、それにともない心身も衰えてゆくことです。例えば「歩くのがつらい」とか「物覚えが悪くなった」とかです。

だから介護が必要なのですが、その介護を必要なくするというのは、人間の心身、人そのものに反します。人に対する冒とくか、荒唐無稽な言いわけにしか思えません。

老化または病気などによって介護が必要な人、ひいては心や体に障害を持つ人が、必要な支援を十分受けられて、みんなが自分らしく暮らせる社会。それが最も良いです。そこには働くことも含まれますが、それがまるきり健康でなければできないということ自体がおかしいです。たとえ障害があっても、そのままで社会参加できることが素晴らしいのです。

それに人は、自ら自分の心身を衰えさせたいと本来望むわけがないので、「本人が望む限り」などとわざわざ言うこと自体もナンセンス=意味がありません。

財布の中身が健全になっても、それで生きる人が不幸ならば、それは間違った選択です。お金が中心ではなく、人が中心。お金は人を幸せにするツール、道具です。その道具ばかりピカピカに磨いても、それで生きる人が輝かなければ何の意味もありません。

よりよく人が人らしく、自分らしく生きられる社会。その社会作りのために一緒に声を上げ、行動してゆきましょう。



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